川端龍子記念館に展示されている作品は唯一、ガラスケースに入っていない“むき出し”の展示がされている日本画美術館です。
「旅すき.site」では、月に1度のギャラリートークで学芸員の木村拓也さんが語る龍子さんの熱意や作品に挑む心情などの交えながら、作品の魅力をご紹介します。
今回、ベストセレクション展から旅すき取材員が選んだ作品は、当時、主流だった床の間芸術に対して宣戦布告の決意表明と受け取れる神仏画「一天護持」です!
この作品は日本美術院を脱退する前年(1927年)に制作された逸品で、蔵王権現を力強く描いた作品です。
ベストセレクション展:平成30年4月28日(土)~同年8月26日(日)まで
関連情報:川端龍子 ベストセレクション「虎の間」
この作品が生まれた昭和2年に龍子さんは42歳になり、人生の分岐点を迎えます。まずは当時の日本美術と龍子さんを追ってみましょう。
再興日本美術院へ
美術研究団体・日本美術を結成した岡倉覚三が1910年(明治43)にボストン美術館の日本・中国美術部長として渡米したことにより、事実上の解散状態になりました。
1914年(大正3)に文部省美術展覧会に不満を持つ横山大観や下村観山らは、岡倉氏が亡くなったことを契機に、岡倉氏の意志を引き継ぎ、日本美術院を再興させ同年、第1回再興日本美術院展(院展)を開催しました。
龍子は、第1回院展に踏切を出品しましたが落選し、同年に大正博覧会に観光客を出品したところ入選します。この年に雅号を川端龍子(かわばた りゅうし)と名付けたそうです。
翌年の第2回院展に狐の径を出品し、初入選したことをきっかけに、第3回院展では樗牛賞を受賞しました。
さらに1917年(大正6)には院展同人に認められ、第15回院展までの13年間、日本画家として足場を固めながら出品を続けました。
床の間芸術と会場藝術
大正~昭和初期の日本画界は繊細巧緻な画風が主流で、日本家屋の床の間の空間を飾る「床の間芸術」と呼ばれるものでした。
龍子が求めた主義は、「皆が見てこそ芸術である(のちに会場藝術へ展開)」だったことから、床の間芸術との根本的な違いがあり、日本美術院を1928年(昭和3年)に脱退しました。
龍子と横山大観との関係は悪くなかったようですが、画壇の中には龍子が目指す会場藝術主義を受け入れられず、驚くほどの大きい作品や色使いから大作主義や異端視する者たちがおり、会場で注目されたい大衆芸術として批判したり、床の間芸術に反発して「会場芸術」と言う者もいたようです。
青龍社を結成
翌年の昭和4年に自ら美術団体 ・ 青龍社を設立し、そこで龍子がスローガンとして掲げたのが「繊細巧緻なる現下一般的制作に対する健剛の藝術」です。
この理念は、会場藝術へと展開され、龍子の代名詞となる巨大な大画面の作品を次々に発表していきました。
健剛(けんごう)とは、力が強く、精神力も優れていることを意味します。
第1回展を開催してから、戦時中も休むことなく昭和41年に亡くなる前年まで「健剛なる芸術の樹立」「会場藝術の実践」を目指し開催を続けました。
まずは、龍子さんが宣戦布告の決意表明の画題に蔵王権現(ざおうごんげん)を選定したのかを知るため、力の象徴とも言える蔵王権現を調べてみました。
蔵王権現について
蔵王権現の正式名称は、金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)の別名があります。
蔵王権現(ざおうごんげん)とは、インドに起源を持たない日本独自の山岳信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が入り混じり、結びついて生まれた宗教現象信仰の守護神・修験道(しゅげんどう)です。
現在の奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られています。
権現とは、目に見える神仏という「権(かり)の姿で、現れた神仏」という神仏習合の象徴で、仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇など全ての力を包括するという意味です。
修験道の開祖・役行者
修験道の開祖として尊崇された役行者(えんのぎょうじゃ)は、役小角(えんのおづぬ)とも呼ばれ、奈良時代に役行者により初めて祀られたと伝えられています。
役行者が修行中に、戦乱の世に一番ふさわしい仏を瞑想していたところ、順番に釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が現れたそうです。
しかし、どの仏も役行者が望む仏にふさわしくないと思い、乱世に力強い仏が出現するように願ったといいます。
そこで三世にわたる衆生の救済を誓願して出現したのが蔵王権現だと言われており、蔵王権現は、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したもので、三仏の徳を兼ね備えると言われています。
今でも奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)には三体そっくりな蔵王権現像が並んでおり、本尊として祀られています。
総本山 金峯山寺
奈良県吉野郡吉野町吉野山2500
http://www.kinpusen.or.jp/
一天護持
学芸員の木村拓也さんは、1927年(昭和6)作の一天護持と1931年作の草の実は、まるで正反対のテーマですが、描き方の特徴が通じるものがあると教えてくれました。
龍子さんの興味関心は、一天護持は神仏を対象とした神聖さや力強さの象徴が表現されており、一方、草の実は庭先で見た植物の生命力を描こうとしているそうです。
旅すき取材員の視点から、この2点を最初に観賞した時は金箔を使用した豪華な作品で通じるものがあると思っていましたが、龍子さんの興味関心は奥深く、見る人に与える神仏と植物の生命力を計り知れないエネルギーに変えて描き、2作品共に強い生命力を感じる作品でした。
蔵王権現の決意表明の4年後により洗練された作品として結実したのが草の実だと認識して観賞すると、龍子さんがやりたかったことが凝縮されている作品であると学芸員さんが解説して下さいました。
関連情報:川端龍子 ベストセレクション「草の実」
手法
一天護持の手法は、草の実と同じく紺紙金泥経の見返絵と経文からヒントを得て、装飾経(そうしょくきょう)の手法を用いており、濃紺の背景に豪華な金泥で描かれた迫力と伝わる力のパワーに圧倒されます。
姿形の意味
学芸員の木村さんから蔵王権現の一つ一つの姿形の解説をして頂きました。
不動明王を思わす憤怒(ふんぬ)の形相をしており、顔は三目です。
憤怒の形相とは、鬼のような顔つきで髪の毛も逆立ち、激怒している様子を表しています。
右手の三鈷杵(さんこしょ)は、天魔を徹底的に打ちのめす仕草を示しています。
天魔とは、仏道修行を妨げている魔のことを表しています。
左手の刀印(とういん)は、一切の情欲や煩悩(ぼんのう)、邪悪なものを打ち破る九字護身法の修法のようです。
右足は天地間の悪魔を蹴り上げ払っている姿を表しています。
左足は、邪気を踏みつけ、大地を力強く踏ん張っている姿を表しています。
学芸員の木村さんは、魔を払う力強いイメージを描き、しかも大画面に金だけで描くという表現によって龍子さんが「私が描きたいものは、このような力強いイメージだ!」という決意表明作品として見てもらいたいとお話しされました。
まとめ
龍子さんの生きた時代背景から画界を変えようとする男の決意が一天護持を通して熱意が感じ取れました。
龍子作品が最高な状態で観賞できるのは、龍子さんの凄さはもちろんですが、龍子記念館には他の美術館とは違う特殊な演出がありました。
学芸員の木村さんから、龍子記念館は昨年、大田区がかなりの予算をかけて全面LEDの照明工事を行い、高い天井と広い壁面を照らす特注の照明に切り替え、龍子記念館用に光を拡散させるように工夫がされていると説明して頂きました。
照明工事前と現在では、作品が別物に見えるくらい金が輝いて見え、若干ですが照明が黄色かかっていることから、より金の深みを楽しむことが出来るそうです。
ギャラリートークの終了後は、学芸員さんが龍子草苑と龍子の自宅とアトリエがある庭園(龍子公園)を案内して頂きました。
四季によって綺麗なお花や果実を楽しめる木や画題にもなっている生命力の強い草花、龍に拘った建築など見学できる楽しい時間でした。
ぜひ、この機会に川端龍子記念館に足を運び、会場芸術の神髄に触れてみてはいかがでしょうか。
大田区 龍子記念館
東京都大田区中央4-2-1
開館時間 9:00~16:30
龍子公園のご案内 10:00、11:00、14:00
ギャラリートーク開催日
7月29日(日)、8月26日(日)
各日 13:00~