昭和期に現代女流・かな書家として活躍した熊谷恒子さんの「かなの美展 やまとうたの風趣」が平成30年4月28日から8月26日まで開催されています。
今回の“旅すきsite”は、ギャラリートークで学芸員さんが時間の関係で解説されなかった作品と恒子さんの遺愛品を本サイトで選び、展示説明文を参考に紹介したいと思います!
関連情報:熊谷恒子 かなの美展「やまとうたの風趣」
出版「基礎から創作まで」
昭和53年に発行された熊谷恒子さんの『書道かな 基礎から創作まで』の一部が抜粋されたパネルがありました。
パネルには、恒子流の創作の心得や書の素材、料紙の選び方などが詳しく記載されていて、“かな書”のバイブル的な内容でした。
中でも料紙選びは、恒子さんの一筆に込める思いの深さが感じられました。
料紙選び
恒子さんは、作品を書く上で“料紙選び”はとても重要だと書かれていました。
紙の模様については、無地や色の薄い物が難が無くて良いと推奨していて、反対に書体が負けてしまうような模様の派手なものは避けた方が良いと書かれていました。
紙の材質は、経験を踏まえたアドバイスとして、加工していないものは墨が吸収しやすいため、文字と文字とのながれが困難なため、技術上の工夫が必要になるとのことです。
墨の濃淡
墨色は、余り濃いと連綿の流れが乏しく、渇筆(墨がかすれてしまう)になってしまうので、墨の濃淡に十分な気配りが必要だそうです。
他にも具体的に紙の種類や大きい作品の注意点などが詳しく書き記されていました。
才能ある恒子さんは、一筆に精魂が込められていると認識していましたが、パネルの最後に、『納得のいくまで繰り返し、書き直すことによって作品に仕上げていきます。』という一文を読んで、才能に溺れることなく、努力を惜しまない姿勢に心打たれました。
遺愛品
恒子さんは筆をとても大切にされており、遺愛品の筆は鳩居堂製が多くみられたそうです。
恒子さんは、一行を一息で書ききるため、筆先が長峰で筆運びが早いことにも耐えることができる狸の毛を好んでいたそうです。
恒子さんは、使えなくなったな筆にも情が増しており、お庭の隅に筆塚を作り埋めていたと解説文に記載されていました。
以前の学芸員さんから、恒子さんのご主人(幸四郎)様が、鳩居堂にお勤めされていたと説明されていたので、鳩居堂製品が多くみられたのは、恒子さんの一番の理解者であった幸四郎様の影響が大きかったのではないかと思われます。
関連情報:熊谷恒子 かなの美展「書家・恒子かく」
今回の一作品
“旅すきsite”が独断で選んだ今回の一作品は、恒子さんが人生の最後に残した作品です。
ありがとう(絶筆)
あ利(り)
可(が)とう
恒
九十三
作品は2点あり、1986年9月21日、病に伏せる恒子さんが娘の壽美子さんに「筆と紙を用意してほしい」と言い、周囲の人々への感謝の言葉『ありがとう』と『うれしいこゝ路』を残し、同月30日に93歳で永眠されました。
うれしいこゝ路(絶筆)
うれしい
こゝ路(ろ)
恒子
今回は絶筆として「ありがとう」が展示されており、文字の均整は流石がですが、恒子さんの特徴でもある早い筆運びではなく、一文字一文字、今までの気持ちが込められた「かな5文字」を観賞することができました。
最後の力を振り絞りつつ、病で苦しい中、周囲の人々に感謝の気持ちを残す恒子さんの誠実さと女性らしい気配りが伝わってくるような作品でした。
書を体験する
熊谷恒子記念館の2階には、和室に書道の道具が用意されており、来館記念に書道を体験することが出来て、1階の受付で「熊谷恒子記念館 印」を押印してくれます。
ぜひ、穏やかな空間の中で、お好きな言葉を書に残してみませんか?
熊谷恒子記念館
東京都大田区南馬込4-5-15